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【管理人の夏休み】屈折望遠鏡の歴史について その3

天体撮影に関する事項
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はじめに

前回は屈折望遠鏡の発明までをまとめてきました。これからは、ガリレオの望遠鏡を使った活躍などをまとめたいと思います。

(冒頭の画像は、望遠鏡と月と木星です)

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屈折望遠鏡の倍率の発見

イタリアのバドバで、「オランダで望遠鏡が発明された」ことを聞いたガリレオは、焦点距離ℱaの平凸レンズと、焦点距離ℱbの平凹レンズを直線状に配置すれば、倍率は、ℱa/ℱbになるだろうと思いつきました。
そしてそれは正しかったのです。

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レンズの向きの発見

平凸の対物レンズは、物体の方向に向け、平凹の接眼レンズは眼に向けるというのは、現代の収差論から全く正しいことであり、大きな発見でありました。

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ベネチアでの実演

1609年ガリレオは、ベネチアで高官たちの前で実演し、その功績が認められ、バドア大学の終身教授に任ぜられました。
この時の望遠鏡は口径42mm、長さ2.4m、倍率9倍でした。
長さが2.4mあれば収差はかなり軽減されるたでしょうね。

少し話題はそれますが、ガリレオは医学を当初学んでいましたが、その後理学に転向し、1591年、バドア大学の数学教授に任ぜられました。
ガリレオはへび座の新星を肉眼で観測し、視差を観測できなかったので、新星が惑星より遠いことを発見しました。この時点で、ガリレオは天文にとりつかれつつあったのです。

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様々な観測を実施

月面の山と海、金星の満ち欠け、プレヤデス星団、天の川を構成している微恒星、太陽黒点など、天体の不思議を次々に解明していきました。
ガリレオのプレヤデス星団のスケッチは、星の位置は不正確です。ガリレオの望遠鏡はマイクロメーターを付けられないという弱点があるからです。

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ガリレオ衛星の発見

1610年1月7日、ガリレオは、木星を眺めていて、3個の衛星を見つけました。数日後には木星の東側に1個、西側に3個の衛星を発見しました。
ガリレオは、3月2日まで観測を続け、これら4個の衛星が木星の周りを回転していることを発見しました。

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ガリレオの名声高まる

これらの発見で、ガリレオの名声は高まりました。
しかし、反面、論敵も増えたので、フロレンスの郊外の邸宅に移って、観測を続けました。
コペルニクスの地動説を唱えて、ローマ法王庁との間にトラブルを起こしたのは、ガリレオ衛星のが、木星の周りを回っていることを、これまでの観測で確信したのも長きにわたる観測があったからでした。

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月のひょう動の発見

ガリレオは、地球から見た月の角度が時によって変わる現象を発見していました。このため、地球からは、月の59%見ることができるのです。

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望遠鏡の満足度

ガリレオはたくさんの望遠鏡を作りましたが、そのうち10%しか使えなかったと言います。それはガラス材質の欠陥によるものでした。メガネには使えても、望遠鏡の拡大率には耐えられなかったからでした。

ベネチアガラスは世界一でしたが、当時としては、この程度の品質でした。

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