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【管理人の夏休み】屈折望遠鏡の歴史について その2

天体観測器具レビュー
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はじめに

前回の記事で、ガラスや水晶をレンズ状に磨いて本などの上に置くと、文字や絵が拡大されることが発見されたことを書きました

今回は、レンズが望遠鏡になるまでの話をまとめてみました。

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望遠鏡を発明した人

ハンス・リッペレイが発明にかかわっていることは間違いないようですが、リッペレイは眼鏡屋さん。同じギルドにいた他の眼鏡職人が発明した可能性もあるそうです。
発明者を特定しようとしても無理なのかもしれません。

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発明のきっかけ

ある日、リッペレイの店に、たくさんのレンズを注文しに来たお客さんがいました。その人は、2枚のレンズの距離を変えながら、加減を見て帰っていきました。
それを怪しんだリッペレイは、同じように二枚のレンズの距離を縮めたり長くしたりしたところ、遠くのものがすぐ近くに見えました。
さっそく筒の両端にレンズを装着して望遠鏡を作った、とか、他にも諸説あります。
リッペレイの子供がレンズで遊んでいて遠くが拡大されたことを発見した、などという説もあります。
いずれにしても、1608年12月に、リッペレイがさらに研究して双眼鏡を作ったというのは事実のようです。

確かに、何のヒントもきっかけもなく、二枚のレンズを通して遠くを見るということは、なかなかなかったと思います。望遠鏡が生まれたのもまた、奇跡だったのかもしれませんンね。

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特許出願

16世紀から17世紀のヨーロッパは、米西戦争で、スペイン率いる無敵艦隊がイギリス海軍に沈められたり、オランダ東インドが出来たのもこの頃です。
ドイツは30年戦争の真っただ中、ヨーロッパは戦争の真っ只中でした。
そんな中で望遠鏡の軍事利用の需要は増えていきました。
そこでリッペレイは、オランダの国会議員に、製品をさらに偉い人に見てもらってゴーサインをもらえたら、多数の望遠鏡を納品すると申し入れました。

その望遠鏡は公開実験され、これは国のために大いに役に立つと認定され、オランダ国会は、課題としてさらに多くの望遠鏡の納品と、双眼鏡の納品をリッペレイに命じました。
しかし疑わしい点(何だ?)があるからという理由で、特許は受理しないことになってしまいました。申請から結審まで5日間だったそうです。

いずれにしても人は「千里眼」を得ました。

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機密事項にできなかった屈折望遠鏡の製造法

当時は戦争真っ只中でしたので、軍事に関する技術は、あっという間に広がりました。
望遠鏡の作成方法も同様です。オランダが独占できるわけはありませんでした。
だれもが、さらに高性能の望遠鏡を作成しようと争うようになりました。

機密を守れなかったオランダに非があるわけではなく、当然の成り行きでしょう。

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