19世紀のヨーロッパと光学ガラス製作の芽吹き
19世紀初頭のヨーロッパは、フランス大革命のショックで揺れ動き、ナポレオンの進行を恐れたイギリスは、オーストリア、ロシア、プロイセンと同盟を組み、対抗し、戦火を交えていました。
このような、ヨーロッパの全土が戦争に巻き込まれていたころに、ガラスの次の段階は、戦火から遠いスイスで起こりました。
光学ガラス製作の難関
良いガラスを作るには、無色透明均質なガラスが必要です。無色透明とは、紫から赤までの全ての波長の光線を100%を透過するということです。
均質とは、ガラス内のどこでも屈折率が一定していることです。
このような性質を持つガラスを、光学ガラスと言い、厳密な意味では、現代においても、まだ理想に到達していません。
ピエール・ギナンの耐火粘土コーティング鉄棒
初めて光学ガラスの製作に取り組んだのは、スイスのピエール・ギナンです。
均質なガラスを作るには、溶解中によくかき混ぜないといけませんが、鉄や銅の金属製のものを使うと、そのイオンが溶け込んで着色してしまいます。
そこでギナンは、耐火粘土で包んだ鉄棒でかき回すことで、この難題を乗り越えました。
大成功です。
光学ガラス製作の契約が召喚した人物は・・・
ギナンは、この技術を秘密にしていましたが、彼が高品質なフリントガラスを作ることは、たちまち近隣に広がりました。
バイエルンの弁護士で、機械工場の重役でもあった、ウツシュナイダーは、ギナンを説得して、ベネディクトボイエルンで光学ガラスを製造させて、かなりの実績を得ました。
製造に関する契約の更改の時期が来ると、次の10年の契約には、ウツシュナイダーに助手を一人付けるとする条項が盛り込まれました。
彼こそが、後に本格的な屈折望遠鏡を完成することになる、ヨーセフ・フラホーフェルでした。
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