色消しレンズ、できるか出来ないか議論
かのニュートンが、色消しレンズの作成は無理との結論を出したので、色消しレンズの発明を1世紀遅らせたと言います。
しかし、D.グレゴリーは、人間の目はレンズ状になっていて色消しが出来ているのにガラスレンズでできないわけはないのではないかと主張しました。
色消しレンズの完成
この考え方に従って、イギリスの弁護士C.M.ホールは色々なガラスを組み合わせをして色消しレンズを発明しました。
彼はもっと研究を重ね、凸レンズは、マンという眼鏡師に、凹レンズはスカーレットという眼鏡師に発注しました。
二人はとても忙しく、G.バストの工場に下請けに出しました。
設計者が同じであることに疑問を抱いたバストが、完成したレンズを組み合わせると色消しになっていました。
幸か不幸か、バストがこれを工業化しようとは思わなかったようです。
このようにしてホールは実用に足る色消しレンズを完成させたわけですが。特許出願はしませんでした。
このレンズは口径64mm、焦点距離503mm、F7.86でした。
色消しレンズ特許訴訟
この話はイギリスの眼鏡師たちに知れ渡りました。J.ドロンドという眼鏡師は、他の眼鏡師に教えてもらい特許を出願しました。そして1758年4月19日に特許取得しました。
その方法を不公正とする原告団眼鏡師35人は特許の取り消しを請求しました。ドロンドの息子P.ドロンドは、異議を申し立てました。したがって、色消しレンズ特許取り消しは審判に持ち込まれました。
しかし審判長ガムデンは、「発明を引き出しにしまっておく人に特許を与える必要はなく、発明を公益に供する人に与えるべきだ」と述べ、これでドロンド親子が色消しレンズの特許権者となりました。
ホールはなぜ色消しレンズを工業化しなかったのか
ところでホールはなぜ特許をとって工業化を目指さなかったのでしょう。もっと有名になったかもしれないのに。
ホールは弁護士です。会社経営には向いていなかったのかもしれませんね。
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