フランホーフェルの功績
1976年にフランホーフェル没後150年記念祭が開かれましたが、そのパンフレットの前書きには、次のようなことが示されています。
「フランホーフェルの望遠鏡によって、天文学上の著しい知見が得られた。彼はドイツにおける光学工業の基礎を構築した」
ウツシュナイダーに認められる
フランホーフェルは、早くに両親を失い、12歳で、鏡製造業者の徒弟となりました。
その後ウツシュナイダーに認められて引き取られ、フランホーフェルは鏡製造とメガネ磨きで生計を立てるようになりました。
フランホーフェルは、ウツシュナイダーの教育と、天文学者でもあり物理学者でもあったシータの感化によって、かなりの知識を付け、ウツシュナイダーらの数学機械研究所(ウツシュナイダーとライヘンバッハが設立)に入ることができました。
ウツシュナイダーはフランホーフェルにガラス研磨の仕事を与え、ギナンの助手として指名しました。
望遠鏡対物レンズの計算方法の改良と、ギナンとの不仲
ライヘンバッハがレンズ研磨機を改良したので、フランホーフェルは良いレンズを磨けるようになりました。
そして、望遠鏡対物レンズの計算方法を改良しました。
このようにして、研究所の名称も、ウツシュナイダー・ライヘンバッハ・フランホーヘル光学研究所になっていました。
ギナンとフランホーフェルの関係はうまくいかず、ウツシュナイダーの仲裁の結果、フランホーフェルが工場を一人で切り回すことになりました。
スペクトルの詳細な分析
フランホーフェルは、プリズム分光器を製作して、太陽スペクトルの暗線を発見したようです。
実はイギリスのウォラストンが、7本の暗線を発見していたのですが、フランホーフェルはそれを知らずに、詳細に観測して約700本もの暗線を発見しました。
これらの暗線は、今では「フランホーフェル線」と呼ばれています。
彼は後に、金星のスペクトルも観察して、金星のスペクトルには太陽と同じ線が含まれているのに、シリウスには含まれていないことを発見しました。
唯一の科学技術指導者と、国際情勢
その後ライヘンバッハが去り、ギナンが去り、フランホーフェルは、工場の唯一の科学技術的指導者になりました。
この頃の国際情勢ですが、ワーテルローの戦いでナポレオンが連合軍に敗れ、ナポレオンの没落が確実になりました。ヨーロッパに平和がもたらされたのです。
新大陸ではアメリカ独立革命がおこり独立宣言がなされました。1823年に、第五代大統領のモンローは「アメリカとフランスは互いに干渉しない」とするモンロー主義を打ち出しました。
※暗線
太陽光等の連続した光のスペクトルにおいて、ところどころに生じている暗線のこと。光源から観測地点までの間に存在する様々な物質が、特定の波長の光を強く吸収するために生じる。
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